Page 130 - 국제학술문화제-가야사/환단고기 분과
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가야사 분과 2


                  金子光介(1933)「今西敎授を憶ふ」,   京城帝國大學史學會會報  .

                  이용현 (2002)「任那と日本府の問題」 110, 『東アジアの古代文化』.

                  이재석 (2013) 「日本書紀의 ‘日本府’ 구상과 그 모티브에 대한 구상」, 『백제연구』 58.
                  정효운 (2007) 「중간자적 존재로서의 임나일본부」, 『동북아문화연구』 13.
                  朱甫暾 (1999) 「日本書紀의 編纂 背景과 任那日本府說의 成立」, 『韓國古代史硏究』 15.

                  千寬宇 (1977) 「復元加耶史(中)」, 『文學と知性』 가을.

                  菅政友(1907) 「任那考」, 『菅政友全集』, 国書刊行會.
                  鬼頭淸明(1991) 「所謂任那日本府の再檢討」, 『東洋大學文學部紀要』 45, 史學科編.
                  吉田晶(1975)「古代國家の形成」, 『日本歷史』 2·古代2, 岩波講座.

                  大山誠一(1980)「所謂任那日本府の成立について(上·中·下)」,『古代文化』 9·11·12.

                  大森金五郞(1911) 「任那日本府の興廢」, 『歷史地理』臨時增刊 朝鮮號.
                  東潮(2006)「榮山江流域の慕韓と倭」, 『倭と加耶の國際環境』, 吉川弘文館.

                  鈴木英夫(1987) 「加耶·百濟と倭-任那日本府論」, 『朝鮮史硏究會論文集』 24. 鈴木靖民(1984) 「東
                   アジア諸民族の國家形成と大和王權」, 『講座日本歷史』 1, 東京大學出版會.

                  奧田尙(1976) 「任那日本府と新羅倭典」, 『古代國家の形成と展開』, 吉川弘文館.
                  請田正幸(1984)「六世紀前半の日朝關係」, 『古代朝鮮と日本』, 龍溪書舍.














































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